
ことしも、神戸で一人住まいをしている92歳の母が暮れから滞在していて、元旦はバラバラに住んでいる私の家族が集合しての新年会、2日はテレビで箱根駅伝観戦、3日は妹宅の新年会に合流と、ほぼ例年通りに過ごすことができた。
しかし、海外ではパレスチナにもたらされる悲劇、国内では派遣労働者を中心にした大量首切り問題と憂うべき問題に覆われ、気楽におめでとうと言える雰囲気ではなかった。年賀状にも「良い年でありますように」ではあまりにノーテンキに思われ、「少しは」と付け加えてしまった。
政府、首切り当事者の経営者は100年に一度の経済不況、などと他人にもたらされた不可抗力のごとく宣伝するが、もうちょっと責任ある発言をしてもらいたいものだ。僅か3年ほど前に未曾有と言われる売り上げ利益を得たのは派遣労働者にも献身的働きを求めたおかげではなかったのか。ワーキングプアを生み出している財界が、派遣労働者に対し、仕事を失ったときのための蓄えができる賃金を支払っていたとはとても思えない。
日比谷公園にできた「年越し派遣村」には暖かい気分にしてもらった。駆けつけたボランティアが1700人とも聞くし、労働者の増加でテントに収容しきれないという緊急事態に対し、珍しく与野党迅な協力で対応に回ったということは評価したい。しかし仕事と住まいの問題がなんとかなったのは一部の人でしかなかろう。私も貧者の一灯で僅かのカンパをしたが、そんなものは雀の、それも片方の目の涙でしかなかろう。
1月9日毎日新聞夕刊のインタビュー記事で、自らも広島で被爆体験のある、画家平山郁夫さんの言を読む。「日本が無条件降伏をしたのは100年前と言わずたった63年前で、大勢が死んで焼け野が原になって、家も、仕事も、食べるものも何もなかった。それに比べれば今の状態はまだまだ豊かで、また訪れたアフガニスタン、イラク、中東やアフリカの国々を思えば地球上に60億の人がいるとして、今の日本並みの暮らしができるのは1割いないだろう。」うーん、その通りだろう。話は「戦争に負けて豊かになって、だが失ったものは多い。それは人間性、精神性倫理観・・・・今必要なのは、しつけ、教育である」と続く。
同じ日、知人と話していたら、突然、なんで「上」が良いことで「下」が悪いことなの?と言う。この人の柔らかい発想にいつも教えられる。そうか、上は上、下は下、それだけのことと思えばいいのかもしれないと納得してしまった。
1月10日、11日岡谷鋼機ワンゲル部の新年山行に加わる。今年は13名の参加で、前日の残雪を踏みしめて、乙女峠から長尾峠、湖尻に下り、翌日は宮ノ下から浅間山(せんげんざん)に登り、湯坂路を湯元に下って解散というコースである。折からの快晴で富士も美しく望めた。明星ヶ岳には「大」の字が。京都の大文字にならったのであろう、8月16日には「大文字焼き」(本家の京都ではこんな呼び方をすれば、回転焼きやお好み焼きやあるまいしと顰蹙だが)を行う。他でも同様の催しがあるが、みんな大の字なのはどうしてだろう。一昨年暮れ、澤地久枝さんが講演で「大国でなくていいじゃあありませんか。小さくともいい国だなあと外国からうらやまれるような国になれば」と言う風なことをおっしゃったのを思い出して、どこかで「小文字」を行わないかなあ、などと考えながら歩いていた。