![]()
「憲法九条と経済界と私」
・はじめに
ただいまご紹介に与りました品川でございます。
お聞きになりました山崎さんの先程の「つるちゃん」私も伺いました。戦争・人間・九条、こういうものに関しまして、今日第2回のこの講演会にお呼びいただきましたことは私にとって極めて光栄でございます。
先程ご紹介にありましたように、私は日商岩井時代から商社には関係しております。
そういう意味で商社のこの九条の集まりに関しましては、むしろ私の方が進んで出して頂きたいという感じを持っております。
その点で今日は心置きなく私の九条への信条といいますか、これをお話いたしまして皆様方のこれからの一つの生き方と言ったら大袈裟かも知れませんが、そういうものも確認していただく機会になればというように願っております。
最初に自己紹介かたがた、私の戦争体験とそこで得た戦争に対する信条を申し上げます。私は1924年の生まれでございます。大正二桁でございます。
戦争にも戦闘にも兵隊として参加いたしました。正真正銘の戦中派でございます。
学業半ばで戦地に行き、そこで戦闘にも参加し、負傷もし、その後運良く帰ってこれた戦中派の一人でございます。
・戦争を起こすのも人間なら、それを止めるために努力するのも人間
ここで私の九条も含めた基本的な一つの信条についてお話しいたしたいんですが、これは先程の山崎さんの三線にもうたわれました、あるいは「つるちゃん」の言葉にもありました、沖縄の最後の激戦がということは、第二次大戦の最後の陸戦が行われた摩文仁というところがございます。
その摩文仁の丘に平和祈念館というのが建てられておりますが、そこの展示室の最後の言葉、これは「戦争を起こすのも人間ならば、それを許さないで止めるために努力をするのも人間だ」そういう言葉が刻まれております。これが私の基本的な信条でございます。
戦争を起こすのも人間ならば、それを許さず止める努力をするのも人間だ、その言葉が私の九条に関する問題に関しての基本的な信条でございます。
先程申しましたように、学生時代、私は旧制の高等学校、京都に在る三高を卒業しないままで軍隊にとられたのですが、その学校に入学以来、あと2年半或いは2年しか勉強は出来ないんだ、その後は軍隊にとられ戦地に行き戦死をするものだ、その気持ちは片時も忘れることはできませんでした。
確かにかつての旧制高校に入る受験勉強というのは大変でした。しかし入った後の勉強はまるで苦行僧のような勉強の仕方でした。授業に熱心だったという意味ではございません。
死ぬまでに読んでおきたいという本はどうしても読んでおきたい、そのために、夜の図書室は満員でした。
皆様方には想像もつかないかもしれませんが、昔は寮では「蝋勉」といって蝋燭をつけて勉強した。12時になると電気がきえる、ただ図書室だけは終夜そこで読書できる。とにかく死ぬまでにこれだけは読んでおきたいという本を肌身離さず持っておったようなそういう状況でした。
しかし同時に、国が起こした戦争で国民の一人として自分はどう生きるのが正しいのか、どう死ぬのが正しいのかという考え方が片時も離れなかった。それが間違ってたんです。
戦争は国が起こした、抽象的な形で捉えて、カントからヘーゲルから必死になって読みました。全体と個、或いは国家と国民の関係だとかいうことを必死になって追い求めました。
しかしそれは違っておりました。今の沖縄の摩文仁の丘に書いてある通り、戦争を起こすのも人間なんです。それを防ぐのも人間、そう思った以降の人生が私の戦後、60年に及ぶ戦後、一貫して揺るぎません。これが私の憲法に関する基本的な信条でございます。
先にそれを申し上げた上で、九条特に二項に関して、いろいろお話したいことがございますのでこれから申し上げます。
まず戦争をなくすというのは、理想主義じゃないのか、理想主義者じゃないのかという問いは、これは経済界で活動している時もずいぶん受けました。
私は理想主義者じゃあございません。現実の経済の社会、政治の社会に身をおいていろいろのことをやらないといけない時に単純な理想主義だけでものをやっていけない。紛争がなくなるだろう、世の中に争いがなくなるような時代をつくるっていう考え方は、これは私は相当現実的には無理がある。争いはなくならない。しかし争いを戦争にするかしないか、これは大きな違いで、紛争がいかにあろうとも戦争にはしない。
これは私の信条でして、紛争がなくなるだろうというような考え方は一切とっておりません。今世界各国で領土の境界と領海の解釈に関して、争いのない国は一国もございません。必ずと言っていいぐらい問題はもっております。日本のような大陸から離れた島国でさえ、千島の問題、或いは竹島問題、或いは尖閣列島の問題がございます。世界中の国ですべての国で領土・領海に関する一切の問題のない国というのは一国もないと言い切っても間違いないと思います。
私は現在国際開発センターの会長としてアフリカだとか、中近東、中国、或いは東チモールのような、そういうところでも仕事をしております。そういうところを見ると部族・民族の違い、宗教の違い、或いは何を聖なるものと崇めるかっていうものの違い、これは絶えず紛争の種になっております。
ご存知のように、世界地図を見られたらアフリカの国境というのは直線で切られているところが多いです。部族の住まいが直線で切れるような分布の仕方をしているわけでは全然ないのです。かっての宗主国の統治のあり方、これはむしろ部族間を対立させてそれでGovernしてゆく、統治してゆくっていうやり方をとったんじゃないかとさえ思いたくなるほど、対立の種を撒き散らしております。だから毎日のように紛争はあります。
しかしそこが戦争になるかならないかと見てゆきますと、ダイヤモンドが出る、石油が出る、ウランがでる、そういう地域で起こった紛争は、戦争に、戦闘状態に入り戦争になる可能性を非常に強くもっております。
・紛争を戦争にする力は、武力と政治のあり方
紛争を戦争にする力というのは一体何なのか、これは、一つは武力です。武力がなければ戦争というのは起こらない。
しかし同時に戦争で儲かる人がいると言うことが大きい問題です。かっては死の商人というような言葉が使われたこともあります。先程言いましたような地域の紛争にはふんだんに武器商人は入り込みます。その裏には欧米の大資本の影がちらついております。そういう意味で紛争を戦争にする力と言うのは非常に大きく動いております。
もう一つの力は政治のあり方です。国民の不満を或いは不平をうまく統治できない場合には、権力はその国民の不満を外に向けようと努力します。これは紛争を戦争にもってゆく非常に大きな力になることは間違いない。歪められたナショナリズムです。
・紛争を戦争にしない力―最高の武器は憲法九条二項
それでは紛争を戦争にしない力とは一体なんなのか、これは先程言いました武力の問題一つとりましても、憲法、日本国憲法の九条二項、これはどう考えてもこれ以上の武器はありません。
紛争を戦争にしない、陸海空軍を持たず、国の交戦権を認めない、そういう形で、憲法で規定しておれば、いかに紛争が起ころうとも戦争にならないことは、これは間違いないわけです。
勿論紛争を外交で解決する努力もこれも多大です。しかし外交全部が紛争を戦争にしない力かというと、私は、それははっきり否定します。戦争に加担しようとする外交もあります。それは、我々は見抜かないといけない。
しかし先程言いましたように、日本国憲法の九条二項これがもっとも確実な戦争にしない力なんです。
先程沖縄の話からもお分かりのように、戦争ほど悲惨なものはございません。ただ具体的にもう少し戦争そのものを申し上げますと、戦争はあらゆる価値観の上に、「勝つため」という価値観を据えてしまいます。自由であろうと、人権であろうと、普段は最も大切な価値観であるという風に考えている立場の人達でも、一旦戦争状態に入れば、戦争になれば、「勝つため」という価値観が最高の位置についてしまう。同時にすべてを動員する力を権力に与えてしまいます。
これは政治や経済、外交、それに労働力、そういうものだけではございません。科学も、歴史学さえ戦争に動員してしまいます。医学も勿論そうです。戦争とはそういう意味で勝つための価値観に勝るものが出てこない。
命さえ勝つためには敵を殺し、味方を殺しても仕方がないっていう形になってゆく。
私自身戦地で現実にそれを体験した以上、価値観の、それまで価値観を追い続けておった人間が、戦地では勝つためにはすべてを譲らざるを得ないという、そういう立場におかれた苦しさも味わいました。
その意味で憲法九条の二項、これが私は戦争を起こさないための最高の武器だという風に思っております。
・九条二項の旗はボロボロになったが、国民はまだ離そうとしない
新しい憲法が布かれました時、二度と戦争をしたくないという国民の決意は、あの条項に凝集されます。
しかし、国民が二度と戦争はしないと決意したこの日本国で、支配政党はその決意を一度もしたことがないんです。絶対に九条二項を守ろう、戦争は二度とすまいという決意は、国民の決意ではあっても、支配政党の決意にはならなかった。戦後60年の日本国の最大の歪みと言えます。
これは勿論、始まった冷戦、東西冷戦のこともありますし、占領軍の占領目的の変更もございました。そのために九条二項に書いてある軍を持たないという事に関しても、自衛隊も生まれ、或いはガイドライン、有事立法、特別措置法っていうような形で、九条二項の旗は既にボロボロになってしまいました。
もうほとんど何も残っていないんじゃないかと思うほど、ボロボロです。海外派兵まで、海外派遣まで進んでしまいました。しかしすべて解釈改憲という形でそれが行われた、憲法には違反してないっていう格好で進んできたわけです。
このボロボロの旗を、しかし国民はまだ握って離そうとしない。それを離さそうという形で今回の改憲が行われようとしているわけです。
・日本が九条二項を放棄すれば、
地球上から正義の戦争もしないという考え方が消えてしまう
ただここで九条二項が戦争を起こさない最高の武器だと言いましたけれど、それは他の国もその九条二項を持ってほしいっていう言い方で我々がいえるかどうか、これは言えません。極めて特異な条項です。
例えばソルボンヌ大学で日本の憲法或いは戦争の話をしますと、Pacifismという言葉は一切使えません。平和主義という言葉は彼等にとっては、それは軽蔑の対象になります。ミュンヘン会談を思い出すんです。ヒットラーに妥協したチェンバレン、ダラディエの英仏の首脳たちのあの宥和政策が第二次大戦の原因になった、そういうふうな激しい反論が議場から起こります。
またレジスタンスという言葉は彼等にとって極めて神聖な言葉です。レジスタンスがフランスをナチスドイツから解放した。この感覚は60年前の我々が二度と戦争をすまいと決意をしたと同じぐらい強い感覚としてフランス人の胸に残っておるわけです。パルチザンを戦った国でも同じです。
ましてや、お隣の中国で九条二項を持つということを考えることは、全くできないです。
現在の中国政府の政権の正統性というのは、抗日救国の戦争を戦い、それに勝ったっていうそれが最大のSupremacyですから当然です。九条二項が意味する「正義の戦いも否定する」という言い方を出来る国は一国も地球上にございません。
コスタリカという国が一つだけ似た憲法をもっております。それ以外の国の憲法で九条二項を持っている国は全然ありません。それはそのはずです。現に軍がある国が軍を否定し、交戦権を否定するという憲法をつくれるはずはないわけです。
日本の場合は、45年の8月15日の敗戦で、軍が解体されました。
そういう中で、しかも300万の国民の命を失い、数千万―3千万といわれていますがーの中国を含めたアジアの人々の命を奪い、最後に広島、長崎で20万の市民の命をなくして、二度と戦争をすまいという国民の決意と、軍が解体されておったことが、たまたまといってもいいですが、一致しておったために、憲法で九条二項のような規定が決められたわけです。
その意味では、この日本がもしこれを放棄すれば、地球上からは、この「正義の戦いもないんだ、やれないんだ」という考え方は、消えてしまいます。
先程言いましたように、もう自衛隊も出来、その自衛隊がイラクにも行ってる。或いは海上自衛隊の場合は、アフガンの特措法でインド洋にも行っている。
そういう状態で、旗はボロボロであっても、この旗竿を国民が握って離さない、それを離せ、離すべきだ、そういう形で今迫られておるのが現状でございます。
・アメリカが現に戦争中ということを甘く見てはいけない
経済界に身をおいておりますだけに、むしろ経済界が先頭を切って、特に私の属しておる同友会が一番最初に提起しました。それから経団連、日本商工会議所と財界はこぞって、改憲の問題を出してきております。
私たちはどう考えたらいいのか。何故彼等が、経済界がそういう姿勢になるのか。これは一つはアメリカが戦争をしているっていう事実を相当甘くみている、ここに一つの問題があります。
先程申し上げたように戦争というのは、すべての価値観の上に、勝つためという価値観を据えてしまうというのが戦争だという風に申しましたが、まさにアメリカは現在戦争中なんです。
外交に関しましては、ご存知の通り国連に敵意を持っているボルトンを国連大使に任命しております。その時のブッシュ大統領の記者会見での言葉は極めて明確です。「現在議会は休暇中だ、だけどアメリカは戦争中だ、一瞬たりとも隙はつくれないんだ」そういう言葉を使って、弁明してボルトンを任命しております。
また金融の世界では、世界銀行総裁にイラク戦争の張本人と言われておったウォルフォヴィッツを任命しております。
本来ならあれだけの戦費を使いもともと経常収支が赤な国で財政収支もものすごく難しいはずでございますが、アメリカの場合は一つはっきりとしたかっこうで金融に関する支配力をもっております。
ヘッジファンドと称し、国の財政がどうなろうとそれに刃向かってくる者に対しては、核のような形で、ヘッジファンドの発動というのは何時でも出来るんだと、俺んとこは基軸通貨だ、そういう感じでございます。しかしアメリカの場合でも、そんなに戦争っていうのは甘いもんじゃあございません。ものすごく苦労しております。
日本は、アメリカは戦争に負けることなんか考えられない、ありえないっていう風に思っておる節もございます。甘く見てるって言うよりも、勝つこと決まっているんだろうという風に見ている節がございます。
しかしアメリカはヴェトナムでは敗北しました。決して戦争に簡単に勝てるっていうもんじゃあございません。
今米軍の再編成というのが、日本の沖縄も含めて大問題になっておりますが、再編成の目的というのは、イラク戦争の遂行の為にはどうしてもやらざるを得ない、勿論長期的な「不安定の弧」と称する、アフリカ、アフリカ北岸からアジアに向かってのアメリカが封じ込めようとする弧に対して、弧というのはアーチという意味ですが、それに備えるという言い方を現在はしておりますが、現実にイラクに派遣している軍隊というのは、アメリカの契約では、10ヶ月以上は前線には置かないという契約の下に出しておるわけなんです。
それの転換がなかなか容易じゃあないわけで、韓国にいる部隊、ドイツにいる部隊、沖縄にいる部隊っていうのが、アメリカの即戦力として、すぐ使える戦力として何とか再編したいというのが、これはもう当然のことでして、戦争遂行上どうしても必要なことなんです。
そういう状態で、アメリカが戦争しておるという状況の中で、いま何故日本が憲法を弄ろうとするのか、これは正に国を売ることです。私は絶対に共犯者にはなりたくない。
しかし、先程から申し上げておりますように、国民が握って離さない力というのは相当なものなんです。
かっての中曽根さんが、戦後政治の総決算という言葉で、国鉄改革をはじめやられましたが、憲法は弄らない、そういう前提のもとにしか進められなかったことを見ても、そう容易じゃないんです。
・改憲は、本当の相手はアメリカで、明日にでも起りうることを覚悟すべき
日本の場合、今国会の情勢はご存知の通りの状況です。そういう意味では憲法改正の発議は出来る可能性というのは非常に強いだろうと思います。
しかし国民投票の場合には、それがどうなるか、わたしはこの商社の皆さん方を前にして、すこしズバリと言い過ぎかも知れませんが、企業社会というのは、一人一票なんかじゃないんです。経団連の会長に対して、私は反対だっていうかっこうで一票を投ずることは、提言を出したりなんかする委員会では、まずありえないんです。トヨタさんが10万票なら、修理工場は一票だろうと思います。それが企業の世界なんです。
日本の企業社会では、そういうヒエラルキーは完全に出来上がっているんです。私自身損保の社長もやっておりました。現在の社長に、今の経団連のやっていることに俺は反対だということを言えとは、私自身が彼に言えません。彼の目には、頭には、トヨタに出入りしている何千人の社員の顔が浮かびます。明日から出入り禁止だといわれれば日本興亜はつぶれてしまいます。社長たる者はそれだけの責任をやはり持っているわけなんです。
しかし彼が国民投票でどちらを投票するかは私はよくわかっております。この間、EUの憲法をフランスでは国民投票にかけ、それで否決されました。
これはアメリカにとってはむしろ望ましいことだったと思いますが、国民投票と議会内の勢力とは、今いかにデモクラシーが進もうと食い違ってくるんです。
特に小選挙区制という状況の中で、議会勢力が決められていってる中では、余計にその問題が大きいんです。
アメリカのある高官と私は話したことがございます。彼は「日本の保守勢力は情勢を甘く見すぎている。しかもルビコン河を渡ってしまっているような形になってしまっている。あれで国民がノーといったらどうなるんだ。どういう形になるんだ、不準備も甚だし過ぎる。」という言葉を使っておりました。
私はそれを聞いて、逆に全身に冷や汗が流れました。これはアメリカが正面から出てくるんじゃないかという感じがしました。
何故なら、イラクにおる自衛隊はアメリカに人質になっているのと全くいっしょです。あそこを戦争状態にすることは、もしアメリカが本気でそれを考えれば、何時だってできるわけです。それで、我々の自衛隊員が命を失った場合に、それに対して応戦し攻撃するのを、これは当たり前じゃないかと考える国民の方が沢山出てきた場合は、もうそれで九条二項はすっ飛んでしまうわけなんです。
もう戦争状態じゃないかという事態は、明日にも起こるかも知れない問題です。そういう意味では、この今の改憲反対の活動に関しましては、政党或いは国会のスケジュールだけを考えて、物を見てゆけば、誤るんじゃないかという危惧があります。
民主党が来年の5月に改憲案を発表するなど、いろいろあります。
しかし現実に私たち国民の手に残っておる旗竿の問題を考えますと、それを取り離すのは、戦争に日本を巻き込んでしまえば、それでできるわけなんです。その時に憤然としてアメリカとの関係を絶つと言い切れるかどうか、それは現状からいったら非常に無理な話だろうと思います。
その点では、この九条の問題、特に二項の問題に関しましては、本当の相手はアメリカだというふうに覚悟して、明日にでも起こるかも知れないと覚悟した上で、これからその問題に関する国民の力と認識とを強めてゆくやり方が、本来あるべき姿だろうと思います。
・国民投票でノーと答えれば日本は変わる、世界史的に大きな意味を持つ
今私はかなり悲観的な形でものを申し上げておりましたが、私の本心はそうじゃあないんです。
逆に国民がノーと言った場合、これはどうなるか、おそらく今までの日本の政治過程は大きく変更せざるを得なくなるだろうと思います。
内閣がつぶれるとか、つぶれないとかの問題じゃあないと思います。
それから中国が日本に対する見方を全く変えるだろうと思います。
中国政府は一貫して、「国民はそうじゃないんだ、国民は戦争を欲してないんだ。」というふうに言い、一部の政治家の動きに関する問題に絞ろうとしているんです。
ところが現実には小泉首相の靖国問題や、或いは右翼系の雑誌などの論調を見て、そうじゃないじゃないかという中国人民の声を無視し得なくなっている。それに対して九条二項を国民投票に問うた場合に、国民がノーと答えたということになれば、中国は対日外交政策を変えるでしょう。
そうなると、アメリカと日本との関係も変ります。基本的に変わらざるを得なくなります。
外交でアメリカとの関係を変えようということは非常に難しいです。
元外交官、現外交官の方々とお話しても、アメリカとの外交でアメリカからの従属関係だとかいうものを絶っていこうとすることは、ご本人がいかに能力があっても極めて難しいことです。
そういう意味では、国民の側がノーと言えば、その絶対に不可能に近いようなことが起こりうるわけなんです。正に国民の出番です。
だから国民投票の暁に、憲法九条二項は変えないという形になった場合には、これはベルリンの壁が崩れたとき以上に世界史的には大きな意味をもちます。
なんといっても日本は経済的には世界2位の大国です。本当はキープレイヤーの一人なんです、世界では。それが現在キープレイヤーとしては容易に認めてもらえないという形になっているのも、やはり基本的にはアメリカとの関係で、特に小泉内閣以後そういう形になっている。
中国の問題に関しましても経済的に政冷経熱という言葉を良く使われますけど、―経熱っていうのは経済的には非常に密接な関係だと、政治的には冷たいとそういう格好ですけど―実際に今の中国の成長振りと、日本との関係では全くWin-Winの関係です。向こうが成長したらこちらが損するっていうような問題じゃないわけです。珍しいぐらいWin-Winの関係なんです。
しかし政治では中国は全方位外交と称して、アメリカともロシアともEUとも極めて丁寧な付き合いの仕方をしております。パートナーと呼んでる。日本だけはそうが呼べないんです。日本をパートナーと呼ぶのが一番当たり前だと思いながら、それが呼べないのが、今の現状になっています。
中国の外交もだから日本との関係が一番戸惑っている格好です。
私自身仕事の関係でもしばしば中国に訪れますが、私自身政冷経熱という言葉はあまり使いたくない言葉なんです。
なんとかそれは打開しないといけないというふうには考えておりますが、今の状況では非常に難しいっていうのが結論ですが、しかし先程言いましたように、逆に改憲勢力がルビコン河を渡ってしまって、国民投票ということになって、それを国民が否決した場合、あくまで旗をボロボロでもかまわない、この旗を掲げて闘うんだという形になった場合、先程言いましたように、そういう問題は一挙に解決します。靖国問題以上のインパクトになるわけです。
・戦後の二つの大きな矛盾
―戦争をしないと決意した国民と支配政党、対米従属と愛国心
日本の大きな戦後の矛盾は二つございます。今まで申し上げたとおり、国民はもう戦争は絶対しないという決意をしたにもかかわらず、支配政党は一度もそれはやってない。
むしろ党則として,党是として、普通の国、軍を持てる国になろうという形で動いているわけです。ただ国民の力を知っておりますから、今まではそれをむしろ内部的にも抑えてきた、それが大きな一つの捩れです。
もう一つは完全に対米従属を方針としながら、愛国心を鼓吹するために、君が代・日の丸を強制するような形で、今教育基本法の改定だとかそういう問題に出ておりますけど、対米従属で愛国心ということの無理さのために、そういう形の政策をとらざるを得なくなっている。
この二つが戦後60年間、本当に不思議なことに、捩れたままで来てるわけなんです。
しかし、九条二項を変えることが出来なかったために、この60年間日本は主権の発動として外国人を一人も殺していません。
それからまた、経済界におられる皆さん方は、ご存知のように、日本は軍需産業がリードしてここまで大きくなった国じゃございません。世界で稀有な経済モデルで発展してきた国なんです。
その60年間の歴史の中で、はっきり捩れ現象というのはその二つなんです。
それが今両方出てきているのです。
その一つの結節点っていいますか一番ポイントになるのが九条二項でございます。
九条二項、九条二項って私申し上げるのは、九条一項は、1929年のハーグ条約以降、これは多くの国で憲法化されてるし、また休戦条約に加盟している国は、全部といっていいぐらい掲げているわけなんですが、二項というのは先程言いましたように、全く今の状況の中では、それの実現をあの国がやるんじゃないか、この国がやるんじゃないかっていうようなことはいくら考えてみても出てきません。
ただそれじゃあ九条二項とは、時代離れして極めて非常識な考え方なのかというとそうじゃございません。
日本の憲法は、その成立過程をもう少し歴史的に考えますと、国連憲章というのが1945年終戦の年の6月に、これが国連憲章としてまとまったわけです。
そのあと8月に広島・長崎の原爆を経験したのです。日本国憲法の九条二項は、広島・長崎の原爆を知った国の憲法でもあるんです。
国連軍という言葉、よく小沢さんなんかが、普通の国になって、軍をつくっても国連軍として参加するんだと言われますけど、仮に国連軍が核を持っている地域に関して、国に関して、本当の意味でそれに干渉できるか、その時に国連軍も核武装すべきなのか、或いは先制攻撃が許されるのか、こういう論議が起こる可能性ってのは極めて大きいです。
もう既にインド・パキスタン・イスラエル、そういう危険地域・紛争地域の国でも核を持っているんです。しかも長距離輸送手段も持ってる。
広島・長崎の経験をどこかの先進国の大都会が被った場合、その国の世論はどういう風に動くかということを考えたならば、おそらく戦争は絶対やるべきじゃないという声が多数を占めるでしょうし、九条二項は当たり前の言葉になってくるんです。
21世紀というのは、そういう世紀のはずなんです。
・20世紀型の国の形にとらわれず、21世紀の課題に取り組むべき
日本で国家を論じたり、政策を論議するときにあまりにも20世紀型にとらわれております。19世紀型・20世紀型の国の形を論議しようとする。もしそういう形で論議するなら、軍をもたないということは欠陥以外の何ものでもない。
21世紀もそうなのか、19世紀・20世紀・21世紀ともそうなのかどうか、これは私ははっきりノーと言いたい。
21世紀の課題というのを日本の経済界は全く見ようとしない。近代化、近代化という形ですべての経済運営を、近代化、近代化っていう言葉の中で消化しようとして、未だに日本の企業の姿勢が、あの90年代の停滞を来たしたわけです。
もう日本は80年代にはとっくに近代化は完了してるんです。しかも日本の近代化っていうのは脱亜入欧という格好で始められた近代化なんです。アジアを離れて欧米に付くっていう形、そういう形で成された近代化は、はっきりもう完了してるにもかかわらず終了したとは言わない。
中国や韓国と東アジア共同体を構成し、そのヘゲモニーを争うと考えること自体、全くナンセンスなんです。アジアを捨てるって言った国が、何もことわらないでアジアに帰ってくることなんてことはできっこないんです。
近代化は完了した、次は世界の現代の課題に取り組むんだという姿勢を日本がはっきり出した場合には、経済界においても全然変わるのです。
一寸極端な言い方かも知りませんが、私はアメリカが戦争してるっていうことを申し上げた時に申し上げるべきなんですが、グローバリズム、グローバリゼーションという言葉は私はもう経済用語とは思ってないんです。あくまでアメリカの戦略用語だと思っているんです。
そのぐらいもう明確にやはり事態を認識しない限りは今の状況っていうのは目に見えてこないでしょう。
マーケットが平和を作れるのか、マーケットが福祉をつくれるのか、マーケットが世界の貧困をなくせるのか、今問われている問題に関してはマーケットは全部無力です。
お金の流れを決めているのがマーケットなんですが、それでは今21世紀の課題だといわれる、平和を作れるのか、福祉を作れるのか、貧困をなくせるのか、疫病をなくせるのか、そういう21世紀の課題には全く応えることができないはずなんです。
・九条二項の闘いは積極的に世界史に加わること
―もうダメと考えてはいけない これからが勝負
私の話はもう締めくくらないといけないんですが、九条二項の闘いというのは守るとか、現状を変えないっていう語感からくる受身のような感じでもし受けとられる方がいらっしゃるなら、はっきりとそれは違うんだ。これほど積極的な形で世界史に加わり、世界史を動かし、21世紀の課題に取り組むための前提を創るというような大きな姿勢はないんだという風に受け取っていただきたい。
私としましてはこの九条二項の問題に関していろいろのところでお話いたしております。
弁護士会館でやりました時は、弁護士先生だけかと思えば、判事、検事、元最高裁長官なんていう方もいらっしゃいました。最初2時間のお約束だったのが、4時間かかってもとまらないんです。だってあの人達は、弁論が商売なんです。もう今度は壇上にいる私が仲裁役で、まあまあっていう格好で止める以外には方法がないぐらい激しく討論しました。
憲法九条二項に関して、旗はボロボロだ、しかし旗竿は国民の手に在ると言うのが、最高裁長官もふくめた全員の意見でした。最後そこで収まりました。
しかしそれを今離さそうとしているんだという感じになりました。4時間話しただけのことはあったと思います。これはやはり、あの人達が、自衛隊違憲の問題から始まって、終始対決しておったわけですね。で最後に現状は確かにもう、イラク派兵までやった以上は、旗はボロボロになった。
しかし国民は九条二項の旗竿は離さないっていうそれが現状じゃないかという格好になります。
こんどそれを離せという形で論議は進んでおります。日程的にもスケジュール的にもそういう格好でどんどん進んでおります。
しかし本当の相手は戦っておる、戦争状態にあるアメリカです。大西洋では英米同盟というのが大きな役割を果たしておりますし、イラクでもイギリスはアメリカと一緒に戦っています。イラク戦争を始める一番大きな口実は、イラクの核ミサイルはアメリカには届かないけれども、イギリスに届くんだ、集団安全保障だというのが、アメリカの論理でした。だから今の英米同盟っていうのは、100%軍事同盟です。
で太平洋では日本に対してそれを望んでおる。それはもう当たり前だと思います。しかも中国の直ぐそばにある国です。
それをどういう形で日本はこれから考えていったらいいのか、その問題に関しましては、皆さんは基本的にこの九条の会その他で勉強もし運動もし、広く意見を広げてゆくという活動もされると思いますが、同時に明日にでも起こるかもしれない問題にも対処できるというぐらいの覚悟をやはり持った上で進めてゆくべきじゃないか。
私自身経済界に身をおいて、こういうことをしゃべっているんで「あんた本当に大丈夫なのか」としばしば問われます。ただ、私自身これはもう全く逃げも隠れもしないで、経済界のトップに対しても、俺は反対だ、絶対それは許せない、告発するぞとまではっきり言った上で言っているわけですから、逃げも隠れも、陰でコソコソなにか反対運動をやってるとかいうんじゃございません。公然と私は反対だと言っておるわけなんです。
それから経済界なんかは、先程言いましたように、完全なヒエラルキーが出来上がっていますが、日本の産業構造はサービス産業の方がウェイト高いんです。その人達は本当の意味で、軍産複合体なんかできるのが一番いやなんです。統制経済で、すべてが統制になった時代を知っている産業人の場合は、こりゃあもう絶対反対だというのが本音です。
軍産複合体にも反対だ。ましてシビルコントロールがあるから大丈夫だという言葉に対しては、年配の人はものすごく反発します。シビルコントロールが軍産複合体であり、石油資本の人が軍の戦争をするかしないかを決めるなんていう形が一番まずい格好です。
軍の独走というのを日本は経験しているから、非常に気にしてシビルコントロールっていう言葉が肯定語になりますけれど、現在のアメリカのブッシュ政権の石油資本の突出した動きだとかなんとかを考えますと、石油資本に戦争をするかしないかを判断さすのは一番危ないなと、そういう風に考えざるをえないんです。
その点から考えても、今の憲法改悪に進んでおる状況の中にあっても、決して皆さん方、もうダメだという考え方は一切持つ必要はありません。
むしろこれからが勝負です。それから相手のほうはかなり甘く判断しながらやってるという点を見抜かれた方がいいんじゃないか。
経済界で私が孤立しているわけでもなんでもありません。
ここで名前を出せばえっと思うような方が、全国行脚をしている人もいます。
九条を守るっていう形で全国行脚をしている、しかしそういう方たちは、現役としてはなかなかやれないことは、先程言った通りなんです。
・皆さん方に言い続けてゆくのが私の最後の仕事
私が完全に現役を退いてしまったらまたこれ、辞めたやつだから勝手に言わして置けと無視されてしまいます。
私は80を過ぎながらまだ現役を続けているのは、現役の経済人として発言するためです。
私がおります国際開発センターというのは、初代の会長が土光さん、二代目が大来佐武郎だったんです。で私が四代目なんです。これを現役とはいえない、あれはもう退いた人がやっているんだなんてことはいえないような、組織、財団法人なんです。
その点では私は現役の人間としてこういう形で、皆さん方に言い続けていくのが、私の最後の仕事だという風に思っておるわけなんですが、今日は遠慮なしにお話させていただきました。
商社、日商岩井に9年間いた男として甘えさせていただいたきらいがあると思いますけど、私としては今日は思い残すことなくお話できて心の底から皆さんに感謝の気持ちで一杯です。
御清聴ありがとうございました。
質問に答えて
ご質問は、大きく括ると防衛は大丈夫なのか、特に北鮮に関連してどうなのか、ということになるかと思います。
防衛の問題を考える場合、一番基本的に考えてなくてはならないのは、いったい国の国力とは何かということです。国民が国に対して自信を持っている国は一番強いのです。日本はテポドンの一発や二発で潰れるような国ではないと国民に思わせることが政治の要諦だ、と私は考えています。脅かすような形でやっていくのは最もみっともないやり方だと思うのです。
これは皆さん方が関係する経済界でも一緒です。ひとつやふたつの銀行が潰れたからといって日本経済はびくともしないぞと言ってから、不良債権処理に入るべきだったのです。それを、信用金庫しか危ないのはない、地銀以上は全部大丈夫だと言って、後からいろんな問題が出てきた為に非常に苦労したわけです。私自身、当時、金融制度調査会の委員をやっていまして、○○製薬が絡んだ信用金庫の不良債権問題が起こりました。その時に次のようなことが論議されました。どんな悪人の家からでも火事が出た以上は消さなくてはいけない。もっと燃えろ、もっと燃えろといって延焼させてしまったら始末がつかなくなる。ところが、国民はもっと燃えろ、ずる賢い経営者がやっていることに関しては、あそこは潰れるのが当たり前じゃないか、潰れるだけ潰れろという格好、感じになる。しかし、火事は火事だ、悪人の家から火が出ても延焼するのです。その覚悟、どこで線を引いたら良いのかという覚悟が金融制度調査会でも大問題となった訳です。それからもう一つ、官僚の立場から言えば、解決できない問題はその問題が無いことにしてしまおう、必ず解決できる事案、既存の法令とか前例だとかで解決できる額しか不良債権と呼ばなかったのです。だから最初は20億円と発表した。いま兆でしょう、国が導入している金額は。最初はそういう発表の仕方をしていった訳です。次々と額を増やしていきました。80億円だとかという形で進めて来ました。国の政治のあり方というのが、本当の意味で、そんなもので潰れるはずはないのだ、浄化するものは浄化してもこの国は耐えられるのだという自信、こういう自信を国民に持たせた上で、不良債権処理をやるべきであった、これはひとつ言えるわけです。
防衛に関してはまさにその通りです。ご質問のなかにも北鮮の問題がよく出て来ますが、中国は2,000発も持っているのです。どうして北鮮の2発の方だけが気になって2,000発の方は良いのですか、と中国から言われたことがあるのです。ある外務大臣が中国に北鮮の問題を頼みに行った、そしたら、それは解ったけども、俺のとこの2,000発については、日本は別に全然問題にしていないのだねと言われて、どう答えて良いのか往生したという話を当人がこういう席で披露したことがあります。転倒している問題なのですね。だから北鮮の2発に関して防衛する力を持てば、その次は2,000発に対する力も持たざるを得ない。
軍と自衛隊との違いは、自衛隊は専守防衛なのに対して、軍は勝たないといけないというところにあるのです。相手の軍の装備、相手の武力、それに勝るものを持っていくという形になってくるのが軍を持った国なのです。
また同時に、例えばマラッカ海峡で海賊の問題なんかが起こります。そうすると、なぜ海軍を出さないのだという声が、国民の声として澎湃として起こるでしょう、軍を持っておる以上は。いったい何をしているのだ、という格好になる。戦前我々が経験したのと、全く同じような世論が起こります。それと同じような格好で、最初に申し上げた、北鮮の2発で国は潰れないということは、先ず、はっきりと断言できます。
しかし中国の2,000発、これは判りません。ところが中国の2,000発の問題に関しましては、もうひとつ難しい問題が起こるのです。この2,000発がアメリカの本土に届く可能性があるのです。このあいだ中国は神舟6号というのを打ち上げました―小泉さんが靖国神社に参った日です。日本ではあまりそれを問題にしなかった。ところがアメリカの方では神舟6号によって中国のミサイルがアメリカ本土に届くのではないか、ということが専ら問題となった。アメリカ本土に届くような原爆を持った国に対して、例えば東京を守る為に、米軍が中国を攻撃できるか。それは、自分の国の本土を犠牲にすることを考えながらやらざるを得なくなった。数学的に考えても随分難しい問題が出る訳です。
そのように考えた挙句、何をするのが一番良いのか、そういう問題が起こった時こそ、本当の意味で国際的に自分とこの外交力を発揮し、北鮮なら北鮮を孤立させた方が、その方が得策だと私自身は思うのですが・・・。
もうひとつ、北鮮に関しては、韓国との立場というものも考えていかないと解決できない問題だろうと私は思うのです。朝鮮半島はいずれ統一すると私は思っております。その意味では、朝鮮半島は核を持った形で統一する可能性があると思うのです。そうしますと、朝鮮半島と中国大陸は核を持っている国になる。アメリカ大陸もそうだ。ヨーロッパもそうだ。持っていないのは日本だけだ。そういう格好になる訳です。二十一世紀にどういう格好で日本が外交をやり、それが、核を持たないということが日本の外交の武器になるかどうか、これが一番問われておる問題であろうかと思います。
いまご質問にあったような問い、北鮮が攻めてきたらどうするとの問いはどの席でも発せられます。どの席でもやはりそこを答えてくれと仰る方が多いのです。私自身としては、はっきりと今の九条二項をもって堂々と世界の大陸の中で日本がやって行くだけのことはある。というよりも、もし第二の広島、長崎のような形の被害があれば、世界中の憲法が九条二項を持つようになるのです。戦争は絶対できないもの、という格好になるのです。そうなれば、それこそ21世紀には、日本のあり方というのが、経済力は第二位ということを最大限に生かした格好で、むしろ世界の外交大国という格好になり得るのではなかろうかと思っています。
それから、わたしの著書、何かあるかと言うことですが、一番手に入りやすいのに岩波ブックレットの『憲法を変えて戦争へ行こうという世の中にしないための18人の発言』というのがあります。岩波がもう80万部も売ったと言っていますから、どこの本屋でも売っています。もうひとつは、来月の8日には『世界』という雑誌が出ますが、それに私の憲法に関する意見、アジアと日本というテーマでの意見が掲載されます。
大体、先ほどのご質問にお答えできたような感じがするのですが・・・。あ、もうひとつ。対米従属を貫く原因は、経済界はいったい何を狙って、あるいは何が得なのだというご質問がございました。この質問に関しましては、中国の台頭という問題がかなり大きい。世界第二位の経済大国になった日本がアジアでヘゲモニーを握れるのかという問題です。かつての、十年前の中国であったなら日本がアジアでのヘゲモニーを握れる、と日本は答え得ただろうと思います。現在、そう答えるのは難しいだろう。日中関係というのは、日本が優位で中国を蔑視するような格好でやっていく時期はもうあり得ないだろう。そうするとアジアでのヘゲモニーはどうなるのかという問題が、ひとつ現実の問題として絡んでくると思います。日中でアジアでのヘゲモニーを取り合いすることほど馬鹿げたことはないと思うのです。日本も中国も大国として振舞うべきなのです。大国として、世界に責任を持っている国だと両方が思えば、この問題は違った角度で処理できるのです。今は、なかなかそういう格好になりません。
私はこの3月に中国に行きまして、唐家璇という前の外務大臣、――というよりも、ひとつ上の国際関係を全部担当している人なのですが――、彼と話して、中国は中華思想を捨ててくれ、アジアを発信するのは、中国もあり、日本もあり、韓国もあるという形で、世界に受け取らすように、そういうやり方を、今後、アジアの一員としてするように、なんとか努力してもらいたい、我々もしたいと、先ほど私が言いました脱亜入欧というのを日本は止めますとも付け加えた上で、申し入れたわけです。それは唐家璇も全く賛成だということでした。ただ日本の方がずうっと近代化されているではないか。だから中国はおそらく日本の半分位までには追いつく、――小康(しょうこう)という言葉を使うのです――小康社会を見出して行くと。ソコソコに国民が満足できる社会――それを大成長のような格好でやれば、一遍に環境問題にぶつかる、エネルギー問題にぶつかる――だから国家のリードとしては小康社会を実現するという言い方をしている。
それから、全人代で決められた国家計画の方針ですけれども、もうひとつは和諧(わかい)という言葉を使っているのです。この和諧(わかい)に小康(しょうこう)というのが、現在の中国の経済・社会全体のリーダーとしての共産党が採っている政策です。そういう状況の中でアジアのヘゲモニーをどちらが握るかという格好で争うのは、他の国、どこかの国を喜ばすだけの話ではないかという感じはお互いに持っているはずなんです。
それに対して経済界はやはりヘゲモニーが欲しいということ、これは当然ある訳です。そこのギャップを外交がどう埋めていくかという問題は、これからかなり難しい問題だろうと思いますが、不可能だろうとは思いません。『世界』の新年号に書いているのは、そのことを書いているのです。もっと端的に言えば、いま、日本の企業はおそらく経験したことがないほど、世界中に活躍している。そこで、どうしても「普通の国」、防衛力という発想をしたくなる。例えばアメリカの企業の展開の場合は、第7艦隊が後ろに付いている。日本は何もないのか。これは企業の経営者として通常考え易いことなのです。そこをどう抜けて、平和の問題を考えていくのか、世界の問題を考えていくのかが私の話の結言なのです。しかし、それは、そっと誤魔化して、いやそんな問題はたいしたことでないのだ、という意味で私は言っているのではありません。「普通の国」というのが、いまの経済界の全体のひとつのあり方です。「普通の国」というのを目指すのが当たり前だ、だから九条二項は欠陥だ、という感覚しかない訳です。
ところが二十一世紀の課題を考えると、九条二項というのは、それこそ世界でたった一つの理念でありながら、そちらに行かざるを得ないような方向性を持っている。これは、国際会議だとか何かで、最近、盛んに逆に言い出され出した理論なのです。――われわれは前から言っておった訳ですけど。九条というのでなくて、九条二項というのが国際会議なんかでも通常に使われる言葉に、九条二項の理念というのは、その言葉だけでその人たちは論議できるくらい、いま一般化しているのです。これを欠陥であると見るか、それとも今後は普遍性を持っていく形に世界は動くと見るのか、これが分かれ目だと思います。その分かれ目を左右するのが、今後仮に行われるとすれば国民投票の結果なのです。国民がノーと言うのか、イエスと言うかによって全く変わってくるのだと言うことを私の今日の講義の本旨としている訳なのです。その点、ご了解願いたいと思います。(拍手)