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活動の記録

詩人・石川逸子さんが商社九条の会・東京第4回講演会で朗読した詩・7篇

大津島にて

三月さくら咲く大津島
丘の上に置かれた回天魚雷
鋼鉄の魚のなかに入ってみます。

全長十四・七五メートル
胴直径わずかに一メートル
まんなかに開いた円形の入口の蓋を
同行のひとに閉めてもらうと
まっくら。
真の闇。
どうあがこうと
もう自分からは抜け出せない。

両足を前に出してすわります。
発射される
聞こえてくるのは
荒いさびしい 波の音。
闇のなかにありありと見えてくるのは
あと何秒後のわが命の終り。
鋼鉄の魚の突端の一・五トンの爆薬もろとも
粉々に
ちぎれ飛ぶ 命。

三十ノットの速さが
ひたすら爆死へ向かって
海中を突き進むとき
若い魂はなにを祈ったろう

生まれる前のかあさんの胎内と
鋼鉄の魚のなかの冷たさと
なんという違い
あのときは生まれ出ようとしていた。
いまは殺し 殺されるために 突っ走っているのだ。

「太平洋は極めて静かで一面コバルト色
・・・・それが入日のくれないに輝くときこそ絵のように見え
これが今決戦の最中だろうかと心を疑わせます」
と、友への手紙に書いた十九歳の小森一之。

「母よ、ああ母ちゃん、
光雄は護国の鬼となり、母さんに面会に帰りますと、
特眼鏡に映じたる水平線に祈りたり」
はたち、沖縄の海に散らばった 松田光雄。

「八月十一日、一七三〇、敵発見、輸送船団なり、
我落付きて体当たりを敢行せん。
さらば神州の曙よ、きたれ」
八月十一日朝、降ろされた人間魚雷に乗りこんでいった
佐野元、
十八歳。
若者の死の四日後に日本は無条件降伏し
天皇は神の座から降りました。

それから六十一年
この国ではあなたたちの死を称え 称えることで
若者の新たな血を望むがごとき風潮が 
ざわりざわり 寄せてきています

三月さくら咲く大津島
人間魚雷「回天」のどてっ腹の闇のなかで
ふるえながら
ふるえながら
海の音を聞きました。

 少女 9

切り落とされた
あなたの首が
空に浮んでいます

「トキコ」と勝手に呼ばれていた
少女

豆満江ほとりの「慰安所」に
押しこめられていた
少女

朝鮮語喋ったからと
見せしめに
日本刀で首切り落とされた
少女

あってならないことが
天皇の軍隊でおこなわれて
「慰安所」行きは公用 と定められていたとか

鶏のように首断たれた
少女の無念は
切られ 放られた 首だけがいつか
はるか空の高みに上がっていったのです

晴れた日にも
曇り空にも
かすかに あなたの首は
空に浮んでいますね

泣き叫んでいる
ウエヨ?(どうして) と
泣き叫んでいる
あどけない幼な顔

鳥のつぶやき

ヒト語はなせたら しらせたい チーチ
二〇〇五年一一月六日にはじまり
米軍の「鋼のカーテン」作戦で 
ずたずたにされた イラクの二つの町 
カイム ハディッサ一帯のことを

まず すさまじい爆撃があった
変電所 隣町をつなぐ唯一の橋 病院 浄水場 商店街
水も電気もとだえた町は 米軍と かいらい軍の砲撃を浴び
やがて民家から民家へ しらみつぶしの突撃

着の身着のままで ひとびとは追い出され
生まれたばかりの赤ん坊をかかえ
泣きながら逃げていく母親を見た 
軍靴でなぐられ 
しばられ転がされた医師たちもいた チーチ

やめて!
年老いたおばあさんを家から追い出すのは
やめて! 学校や郵便局 民家を 砲撃するのは!
空から叫んでいた 
そう 鳥の言葉で

サッカー好きの少年や 法学士になりたい娘
おひとよしの果物屋 ジョーク好きの年寄りもいた
でも すべては破壊され 家も財産も消えてしまった
いえ たくさんのヒトだって チーチー

作戦終了後 こわれた町にようやくもどってきたひとびと
(砂漠でふるえていたのだ)
瓦礫を積み上げ かつての家に 白旗をかかげる
どこにでもまだ米兵はいる いつ射撃されるかわからぬ不安
(殺された父親・息子の遺体は瓦礫の下に埋まったままで)

それから一年 今 米軍に包囲されたままの ラマディの町一帯
ブルドーザーでつぶされ 跡形なくなった 小学校 商店 アパート
アルラシードホテル 警察署まで チーチー
(米軍に空輸しつづけるヒノマル軍用機)

世界の報道はラマディに背を向けたままだ
ヒトってわからない ヒトっておかしくない?
チーチ チーチー

石川逸子詩集『定本 千鳥ヶ淵へ行きましたか』より

12 第三室(生まれてはじめて)

昭和二十年一月十八日
太原で戦病死した 五十嵐善太郎さん
空箱のなかに名札一枚のあなたが
家族のところへ戻ったのは 戦後もあとのあと
戻れなかったのだ あなたの骨は
心臓肥大で 呼吸困難の発作におそわれることしばしばのあなたを
「お国」は甲種合格で召集したのです

「生まれてはじめて人をなぐったり、銃を以て突いたりしました」
と妻に書いてきた 及川一男さん
岩手の農民のあなたは 山西省の野戦病院で死んだ
「村からは五人の者を銃殺、ほかに弾に当って死んだもの等十数名あ
り、赤く血の流れたところや、うめき声を聞けば全くこの世の地獄
と思いました。人間と人間のころし合いですからみんな真剣です」
と妻に書いた 佐々木徳三郎さん
秋田の農民で三児の父のあなたは 山西方面で戦死

「土民の部落の焼かれたる、畑の中に屍々累々と横たはるを見ても既に
麻痺せる頭には人間的感情の更に湧かざる事」
陣中日記に記した二十八歳の江畑稔さん
よその国に踏み入って 殺して殺して
あなたも中国南部で突撃中に死んだ

吉越煕さん
静高在学中に出征した あなたの死は
敗戦の一ヶ月あと
昭和十九年十二月十三日 もはや軍靴も支給されず
地下足袋で 松本連隊からこっそり戦地へ向かった
あなたの死に場所は 江西省南昌県南昌
「もしも、もしもの事があったらだぜ、
亡き数の中に入ったらやっぱり静高の学生服の写真をネ、
おれはまだ本当は学業半ばなんだぜ、大学と云う学校があるんだから」
堅く堅く母の手を握って 子供のようにポロポロ泣いた あなたは
やっと二十歳
やっと自由が開ける戸口で
骨と皮になって病み死んでいった
まだ心は学生の「侵略」兵士よ

13 第三室(ウェイ シェンマ?)

あなたのことは「東哺の部落民らしい」としか分かりません
あなたは 拗頂山腹の谷間(あい)を歩いていた
畑仕事から帰る途中か
親戚の祝いごとに招かれていったか
そのあなたを 日本の兵隊が討ったのだ
退屈しのぎの威嚇射撃で 手もとが狂ったのだという
あなたの太腿から血が噴きだし
号泣するあなたを 日本軍はどうしたか
「可哀そうだと思ったが もう一発射撃させて殺した」
と一人の将校は日記に書く
かくて あなたは殺された 虫ケラのように
「兵隊に処置させる前に妻子らしいものが泣きながら死骸引き取りに
きた」
夫であり 父であった ひと よ
あなたの村に 日本軍が行かなかったら
あなたは いま 白髪白髯の老人で
孫達とゆったり山を見ているか

殺された 一千万人のなかの一人
あなたは 若妻です
なだらかな山に囲まれた村 茶葉口で
一九四一年九月朝まで生きていた
入口の扉に「幸福」と書いた字を貼った 真新しい家で
赤んぼうを産み落としたばかりの あなただった
天井には真っ白い紙 壁には模様のついた色紙
花模様の布団にくるまり 産後の疲れでうとうとしていたあなた
傍には 元気に泣いている赤ん坊
赤ん坊をあやしている あなたの母親
朝の村は静かで 小鳥の声だけが聞こえていた
もし そのあと独立歩兵第四十三部隊大隊長中佐の
「部落掃蕩 火をつけろ」という命令がでなかったら
小さなあなたの村にまで 日本軍が攻めこむことがなかったなら

生まれてきた子に
はじめての乳を与える前に
あなたは焼かれた
あなたの赤ん坊も
母親も
「幸福」と書いた入口の扉から 火のついた藁束がつぎつぎ投げこまれ
ついで扉を閉められ
あなたは焼かれた

かっと目をみひらいた あなたの問いが
いまも 茶葉口で
あれから四十四年たった 茶葉口で
燠(おき)となって くすぶり燃えている

19 第5室(白骨街道)

白骨街道という
大将になりたい一人の男の思いついた
インパール・コヒマ作戦によって
雨季のビルマの アラカン山系で
チンドウィン川の渡河点で どぶ泥のデルタで
累累 死んでいった兵士たち――
砲弾に 千切れ
山腹の穴のなかで 溺死し
自動小銃で 胸つらぬかれ
マラリヤに冒され
傷ついて遺棄され
なお生きながら全身に蛆(ウジ)たかり
オカアサン
カアサン
カアチャン

白骨街道という
清水の溜り場に
折り重なった白骨たち
命令が あなた方をかり立て

白骨街道という
ジャングルのなかで
軍服のまま骨となり
竹林のなかで 腐乱し

しかし 将軍は帰ってきた
のうのうと
後方から 進め 攻撃 の命令だけ下して

それから幾度も幾度も 月はまるくなり
天寿を全うして 将軍は死んだ
ベッドの上で 医師と家族に看とられて

白骨街道の白骨たちは
その日 微微とも動かなかった
蠅と虻が 常と同じように 飛んでいる だけであった

20 第5室(ウー・トゥンヨンじいさん)

ウー・トゥンヨンじいさんは 死んだ
山深い チャウタロン作業キャンプで
骸骨のように 痩せさらばえて

ジャングルのまっただなか
吹きしぶく雨のなかを
竹薮を切り払う
盛りあがった岩まじりの土を掘り崩す
へこみは土を埋める
埋めた土を泥水が押し流す 木の株にぶつかってよろめく
「コラ、ビルマ、歩け、歩けえっ」

ウー・トゥンヨンじいさんは 発熱している
雨に濡れながらひどく火照るからだに 日本兵の生竹が飛ぶ
「コラ、ビルマ イカンゾー」
キャンプへ戻って休んだら
心配する仲間に じいさんは激しく首を振る
「わしは帰らん 仕事はやれる」

じいさんは知っているのだ
発病し 作業に出なかったものの行末を
まず 食事の配給が止められる
四日たって治らなかったら
ジャングルの奥の(病院)へ送られる
(病院)から帰ってきたものは ない

だから よろめいても 生竹で背骨をバシバシなぐられても
泥水のなかを 火照るからだで じいさんは石を運んだ
六十を過ぎた ウー・トゥンヨンじいさん
東のはての 小さな島から
どかどかと ニッポンがやってきて
「線路を作れ」というまでは
貧しいながら クンディービンの村で
孫たちに囲まれ
いま頃は トマトやキャベツ ナンナンを取り入れる時期だ

だが その村も 荒らされてはいなかろうか
器量よしの孫娘は やつらに辱められてはいなかろうか
どうあっても どうあっても 帰ってみせるぞ なつかしい村に

ウー・トゥンヨンじいさんが死んだのは
ジャングルの夜明けがた

一枚のぼろアンペラにくるんで
仲間たちが 森の入口に埋めたが

つめたい 白い霧が
いちめんに立ちこめていた その日を
なんにちとも誰も知らない

 

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